テーマ:環境

自動車の普及に対応策として

 60年代の高度成長期に入り、自動車が一般家庭にも普及して都市部の駐車場不足が社会問題にもなり、狭い土地に多くの台数を収容できる機械式の立体駐車場が開発されました。 日本で初めての立体駐車場は1929年に東京の丸の内に作られた「丸ノ内ガラーヂ」といわれるものです。これは鉄筋コンクリート6階建てのビルの中に車を運転して入り駐車する方…
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天然記念物という言葉を使った人とは?

フンボルト ヤンバルクイナ(天然記念物)  天然記念物という概念を初めて用いたのは、ドイツの地理学者フンボルトという人です。 1800年、旅先のベネズエラで珍しい巨木に目が留まり、傘状に直径60メートル近く広がる見事な枝を見て「この天然記念物を冒涜するものは厳しく罰せられる」と著書の中で述べ、保存を求めました。  欧…
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スリル満点のレースですね

 世界初の本格的な自動車レースは、1895年にフランスのパリとボルドーを往復する約1200キロのレースでした。前年にやはり同国で、ガソリンエンジンや蒸気機関などの動力優位性を競う目的の約130キロレースが行われ、人々の関心が高かったことが開催につながったそうです。その後、公道を使った都市間のレースが続きましたが、見物客が自動車に…
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古代ローマからあったマンホール

 マンホールは、下水道などの水路を点検、整備するために、人が出入りできるように設置された穴です。 その起源は、紀元前のメソポタニアと古代インドが最初だったとされています。  本格的に整備されたのは古代ローマ帝国でした。「元老院とローマの人民」を表すSPQRの文字が彫られ、今もローマのシンボルになっています。また映画「…
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送電ではなかった電柱の役目

 電柱は、19世紀前半に米国の首都、ワシントンと北東部のボルティモアを結ぶ約60キロに設置されたのが最初だった。当時は、モールス信号を送るケーブルを架けるために使われました。  日本では1869年、港のある横浜に整備されました。これも送電ではなく、電信に使われていたため「電信柱」と呼ばれました。戦後に電気や電話の需要拡…
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世界で初めて実用化したのは日本の町工場だった

 海洋国の日本で、漁業は大変大切な産業である。  それをもっとも効率よくするのが魚群探知機である。その魚群探知機は、戦後まもない1948年に長崎の町工場で世界初の発明として実用化された。  開発したのは、当時、漁船の電気工事を手がけていた古野電気という会社で、「海から泡が出ている所に魚がたくさんいる」という話しを聞い…
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日本らしい始まりだった

 ジュースやお茶を手軽に飲み、今や欠かせない生活用品にもなったペットボトルは、米国で1974年から使われるようになり日本へは約3年後に醤油の容器に採用されたのが始まりです。  醤油メーカーのキッコーマンによると、当時、容器の主流だったのがガラス瓶、重いうえに回収しなければならず運送費が大きな負担になっていました。そこで…
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世界に先駆けて日本が

 今では、日本のどこでも見かける点字ブロックは1967年3月18日に、岡山市の岡山県立岡山盲学校近くにある交差点に世界で初めて敷設されました。  考案したのは、市内で旅館を経営しながら発明家としても活躍していた三宅精一という人です。道路を横断しようとした視覚障害者が車にクラクションを鳴らされて困惑しているのを目撃し…
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フランスで、バターの代用品として生まれた

 普仏戦争を控えてバター不足が深刻化した19世紀に、ナポレオン3世が安価な代用品を公募したところ、それに応じたフランスの化学者・ムーリエという人物が1869年に牛脂に牛乳などを加えた商品を考案したものです。  最初はバター同様、動物性の食品だったのですが、今のように植物油が原料になったのは19世紀末のことです。日本には18…
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志木・引又宿の面影を訪ねて

志木市内の本町通りは、かっては引又街道と呼ばれ、奥州から相模へと通じる宿場町として栄えた通りでした。 その歴史は古く、鎌倉時代からの宿場が発展してきたのではないかと推察されていましたが、水利には縁のない武蔵野台地にあって、ここは新河岸川と柳瀬川の合流点に隣接して水運の要衝にもなっていたため宿場が栄えたとされて…
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国分寺を歩く、①

   最初に訪れたのは、ここ都立殿ヶ谷戸庭園です。 大正年代の初期に、満鉄副総裁の別邸として造られたものを旧三菱財閥の岩崎彦弥太氏が別邸として買い上げた後、茶室等を整備して回遊式庭園として完成させたものです。その後東京都が昭和49年に買収して都立庭園になったものです。国分寺崖線の南縁にあり、典型的な段丘崖を含んだ地形の中に造られてい…
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