残酷さとは何か、国と時代で考える
森鴎外の小説「山椒大夫」の原話になっているのが、この「さんせう太夫」という紹介した古典である。
日本の捕鯨やイルカ漁に対しては、欧米社会からの「残酷だ」という非難も多い。しかし、日本人からすれば何故鯨がダメで牛や豚はいいのだという疑問も拭えない。また、最近多くなったペットについて、欧米ではペットの安楽死が普及しているという。これらも、日本人からすればとてもショックに感じる飼い主が多いだろう。その背景には宗教や生活文化の違いによる動物に対する考え方に差があるようだ。同時に、「何が残酷なのか」は国により時代により違うとも考えられる。
この原話には、残虐シーンが満ち溢れている。
鴎外の小説と比べて見ると、小説では厨子王を逃がして自殺する姉の安寿は、ここでは厨子王の行方を尋問されて拷問に遭い死んでいる。また、最大の違いは太夫の末路だ。
小説では、出世した厨子王の命で奴隷を解放し、ますます富み栄えたのに対し、説経節では厨子王におびき寄せられて惨殺される。太夫の首から下を土に埋め、切れ味の鈍い竹の鋸を用意した厨子王が言う、「決して他人に引かせるな。子供に引かせてつらい目にあわせてやれ」と。親殺しの罪を負うのは姉弟を最も虐待した三男の三郎だ。その時、三郎は唱える”一引きては”と、竹鋸で首を引くことが絶大な供養になると唱えることで、せめて来世は救われるように祈ったのだ。その後、三郎も同じように竹鋸で往来の人々に七日七夜首を引かれて絶命する。現代人からすると実に残酷な場面である。
しかし、この原話が語られた中世には、厨子王のように奴隷扱いされた最底辺の人々は虐げられても反逆できないのが常だった。そんな人々にとっては、厨子王の果たした復讐は夢であり、太夫に何のお咎めもなかったら、そのほうが残酷な時代だったのだ。
古典文学には、このような様々な価値観の変遷を映し出し、様々な人生観を教えてくれる。

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