敗将ながら国家の礎を築いた人物

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五稜郭公園

 世に言う箱館戦争は明治の初めに官軍と旧幕府軍が戦い、王政復古と江戸城明け渡しに反発した榎本武揚が最後の戦いを挑んだ場所である。旧箱館奉行の城郭「五稜郭」に拠点を置いた場所がそれである。
1869年5月に、北海道函館市八幡町の亀田八幡宮で新政府陸軍参謀の黒田清輝と武揚は会談し、「五稜郭」を明け渡す決意をした。

 戊辰戦争終結後143年たって、初めて神社の境内にそれを記念する石碑が建った。なぜ、かくも長い間かかったのかを地元の郷土史家・近江さんは次のように語っている。「箱館戦争では、住民が戦費集めの目的で様々な税を課された上、戦禍に巻き込まれて苦しみました。だから、戦争を起こした榎本を敬遠する空気が強かったのです」と、また「榎本と黒田の会談は、戊辰戦争を終結させ、近代国家づくりの幕を開きました。その意味で、ここは歴史的な場所なのです」と強調している。さらに、石碑に揮毫し、建立記念式典にも出席した榎本のひ孫の隆充さん(78歳)は「戦乱に巻き込まれた函館で、武陽を再評価する動きが生まれていることは、子孫として大変嬉しい」と語っている。
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榎本武揚

 石碑ができた翌月の昨年12月に、榎本の雅号「梁川」に由来する函館市梁川町の梁川公園に、胸像が建てられた。呼びかけたのは市内の不動産造園会社社長の近江さん、「榎本は敗軍の将として一度は入獄しながら、その後は新政府で要職を担い、海外にも影響を与えた。困難に直面しても挫折せず、その後に活躍した人生には学ぶものがあります」と話している。そして、榎本について書かれた書籍を市内の小学校に寄贈すると言う。「榎本のように、困難に負けずに活躍する若者たちが出てきて欲しいからです」とのことだ。

五稜郭公園へは、JR函館線五稜郭駅から車で10分、亀田八幡宮へは公園から7分です。公園の近くには、五稜郭タワーがあり、公園を一望できます。また、函館の奥座敷と呼ばれる湯の川温泉もあります。名産は、生産量日本一のコンブ、イカ、マグロなど海産物は新鮮で美味しいものばかりです。

                                                 参考文献:読売新聞

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