日本地図の測量に努めた情熱

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伊能忠敬銅像

 日本は、今領土問題で危機にさらされている。かっての先人が創り上げた歴史の史実がくつがえされることがあってはならない。

千葉県香取市佐原公園の一角に、野帳を手にして測量する忠敬の銅像が立っている。その銅像がこれで、江戸時代50歳を過ぎてから日本全国を歩き、初めて実測に基づく日本地図を作った人がこの銅像の人なのである。
17歳で、醸造、金融業などで財を築き、佐原の名家となった伊能家に婿入りした忠敬は家業を繁栄させ村の名主としても活躍する。49歳で隠居し、50歳で江戸に出ると、当時、最先端だった西洋の天文学を学んだ。
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伊能忠敬記念館

 記念館学芸員の酒井さんは「学びたい気持ちをずっと持ち、第一の人生を終えた後、やりたいことをやろうと思ったのでしょうか」と話す。測量の技能を身に着けた忠敬は55歳の時に初めて東北・北海道南部の測量へ向かった。この測量は、幕府の許可を得て行われたものだったが、第一次測量では約80両(現在の1200万円相当)もの私費もつぎ込んだ。それを支えたのが伊能家の財力だった。

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港区・芝公園にある伊能忠敬記念碑

 「伊能図」とも呼ばれる「大日本沿海與地全図」は、忠敬が71歳になるまで10回にわたる測量で作られたものである。全図が完成したのは没後3年、弟子たちの手によってまとめられた。地上での地道な測量と、星の動きから割り出して作られたもので大変精密であり、幕府は末長く軍事機密扱いするほどのものだった。
伊能の名が日本中に知られるようになったのは、明治時代に教科書で取り上げられたからで、「勤勉な人」として描かれているが、酒井さんは「信念や気持ちに正直だったから、測量も達成できたのでしょうね」と指摘する。

 1998年には、伊能の旧宅近くに記念館が建設された。ここには、測量や天体観測、地図作成に実際に使った道具など2345点もの国宝が所蔵されている。忠敬が考案した、杖先に方位磁石盤が付けられたどんな場所でも水平に方位を測ることができる「わんか羅鍼」は、もっとも使用されたとされる。また、箱状の「量程車」と呼ばれた器具は、地面を一度に約180キロメートルまでの距離を引っ張って転がして測れるものだそうだ。

 NPO法人「小野川と佐原の町並みを考える会」の吉田さんは、「佐原は重要伝統的建造物保存地区に関東で初めて選ばれ、その町並みはタイムスリップした感覚を味わえます。町ぐるみの博物館になっています」と語る。

記念館へはJR成田線の佐原駅から徒歩約10分、東関東自動車道の佐原香取ICから車で約15分です。記念館そばの水郷佐原水生植物園には約400種の花ショウブや300種の花ハスなどがあります。また、香取市は国内有数のサツマイモの産地、佐原地区では「すずめ焼き」と呼ばれるフナの佃煮もあります。是非、ご賞味を・・・

                                                       参考文献:読売新聞

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この記事へのコメント

ijujun@i.softbank.jp
2014年02月24日 04:26
黒目川太郎さんおはつです!いずみっていいます><;あれ?このコメント…ちゃんと書き込めてます?今全然更新されなくて…私、コメントの連打して、もしかしたら、私のコメントで黒目川太郎さんのブログ荒らしちゃってませんか?…大丈夫かな…?(ノ∀`●) ハンセイえっと大丈夫なら、迷惑じゃないならメールほしいです(v`▽´)v
初めての書き込みなので…それに黒目川太郎さんのこともっともっと知りたくなっちゃいました(o^-^o)それじゃ待ってますです(v`▽´)v
黒目川太郎
2014年04月26日 09:49
コメントいただいていながら、大変失礼いたしました。
ありがとうございます。いずみさん、このほかにもいろいろブログは投稿しています。よろしくお願いします。

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