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おとめ山公園から下落合氷川神社へ
「おとめ山公園」とは、乙女という漢字で受け止めていたが、これが大間違いで正式には「御留山」と書くらしい。江戸時代には、この辺り一帯は徳川家の狩猟地で、一般人の立ち入りは禁止されていたのでこういう名前が付けられたそうだ。新宿区下落合にある区立の公園で、目白台地から神田川へと続く南傾斜地にあるため、湧水が出ていて東京の名湧水57選にも選ばれている。この水を利用して、ホタルの養殖も行われていて毎年7月には「ホタル鑑賞会」も開催されていると言う。石井
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2011/12/30 17:38 |
紅葉狩りの語源とは
日本列島もいま紅葉前線まっさかりになって来ました。
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2011/11/26 10:54 |
鳥羽の海賊大名とは
熊野の別当、九鬼氏の一族が志摩国(現在の三重県)英虜郡波切村に移住したのが志摩の九鬼氏の始まりです。
その第8代目の九鬼嘉隆(くきよしたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で大名です。この方は九鬼水軍を率いて織田信長、豊臣秀吉のお抱え大名として3万5000石の禄を得ました。はじめは伊勢国司の北畠氏の配下にありましたが、織田信長の伊勢進出に際し、永禄12年の伊勢大河内城攻めで活躍した後、鳥羽城を本城として城主の地位に就きました。
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2011/11/19 21:07 |
西の小京都を築いた周防の戦国大名
大内義興(おおうちよしおき)という人物を御存知でしょうか?
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2011/11/04 19:53 |
河鍋暁斎記念美術館から剣神社、子どもの国へ
河鍋暁斎という人物は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師である。狩野派の流れを受けてはいたが、他の流派、画法も貪欲に取り入れることで自らを「画鬼」と号していたとされる。生まれは茨城県古河市、天保8年に浮世絵師の歌川国芳に入門し、才能を磨き腕を発揮して来たとされる。その墓所は、谷中の瑞輪寺にあり、墓石が変わっていて蛙の形をしている。これは彼が好んで描いたことによる。訪問した日は、残念ながら中へ入る事が出来ず、周りの様子だけを写真に留めた。
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2011/10/10 14:49 |
蕨市の塚越稲荷神社と機神社を訪ねて
ここが塚越稲荷神社です。訪問した時には、丁度境内で地元の有志の方が神社の手入れをされていました。
この方たちがこの神社を守り、多くの人たちを楽しませてくれているんだと実感しました。そのうちのお一人が、親切にも私たちを案内して普段見られない場所も案内してくれ大変貴重な訪問となりました。
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2011/09/29 12:45 |
和楽備神社を訪ねて
蕨駅から市役所通りを西に800メートルほど歩いた所に鎮座するのがこの和楽備神社です。神社の南は蕨城趾になります。社殿の新しいのに驚きますが、焼失により建てかえたためとのことです。それに、この狛犬のたくましいこと、造りも少し変っています。
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2011/08/29 16:59 |
蹴球と浴衣の話はいかが
「蹴球」と書くと、高齢者の人は分かる人も多いと思うけれど、若い人はサッカーと読んでしまうのが普通である。
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2011/08/09 20:29 |
蕨宿の名刹、三学院を訪ねる
この管内では広大な敷地を占める当寺は、創建年代は不詳ですが周囲の広さに圧倒される人が大半です。
あいにく、訪問時には本堂が修復中でごらんのような天幕でおおわれた状態でした。入ってすぐ正面に多宝塔、左手に梵鐘堂、右手に水舎と座禅堂があります。
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2011/08/03 15:51 |
中山道の宿場町の蕨宿を歩く
降り立った駅は、埼京線の蕨駅の西口です。
江戸時代の中山道第二番目の宿場町であった蕨宿が開設されたのは、江戸時代初期の慶長17年(1612)と有力視されています。幕末の天保14年(1843)には、宿内人数2223人、家数430軒、本陣2、脇本陣1、旅籠23という中程度の宿場町だったようです。蕨宿は、江戸に上る旅人が、荒川の増水で戸田の渡しが渡れない時に待機する場所でもありました。構造上の特徴としては、宿を用水掘がとり囲んでいたことが挙げられ、これは防衛上の目的であるとか、宿場に暮らす飯盛...
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2011/07/29 13:36 |
彩の国さいたま芸術劇場から円福寺を経て鈴谷天神へ
あいにく工事中だったこの芸術劇場は、県下でも舞台芸術活動の拠点施設になっているところです。演劇・音楽・舞踊・映像などの舞台芸術に相応しい中小規模4つの専用ホールがあり、レストランなども併設されている鑑賞と創造が一体となった劇場です。
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2011/07/18 19:59 |
円乗院を訪れる
ここ円乗院というお寺は、鎌倉幕府の武将で比企地域に勢力を誇った畠山重忠が建久年間に道場村に堂宇を創建し、慶長年間に中興の祖である賢明上人が現在の地に移建したものです。その後、延宝6年に京都仁名寺の直末寺に指定され、次いで寛延2年には談林格(僧侶の学問所)に昇格しました。これにより当地方の真言宗の重鎮寺となったものです。山門を入って、すぐ左手にはこのような庚申塔が立ち並んでいます。この庚申塔は、与野の最古の庚申塔と言われます。
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2011/07/10 09:41 |
与野公園のバラは素晴らしかった
埼玉県の自然100選に選ばれているこの公園の特徴は、何といっても桜とバラです。
桜は染井吉野、バラは30種約数千本が咲き乱れています。また、園内にある天祖神社は、与野七福神の一つで、寿老人が祀ってあるところです。付近には弁天池もあります。
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2011/07/03 09:32 |
緑豊かな文化都市、バラが最盛期の与野を歩く
駅を降りて、歩き始めると右手の埼京線に沿ってご覧のようにきれいにバラが植えこまれた花壇が続いています。
季節も丁度、最盛期を迎えようと言う時期です。天候にも恵まれて、気持ちよいウオーキングが楽しめそうです。
途中で、このようなソーラー発電装置を見かけました。わかりますか、支柱の上にソーラーパネルが乗っています。
折しも、今回の原発事故で全国的に節電が叫ばれ自然エネルギーが奨励されていますが見本のようです。
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2011/06/16 13:07 |
密蔵院・久成寺を経て、百観音明治寺から実相院、禅定院へと歩く
真言宗御室派の密蔵院は、北条氏直公の祈願所として開山した寺で、当初浅草にあったが明治43年に当地へ移転しました。御府内八十八ケ所霊場の中の41番札所になります。
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2011/05/30 20:21 |
東福寺から中野区立歴史民俗資料館、正法寺、貞源寺へ
ここ東福寺は、西武新宿線沼袋駅から北へ10分のところにあります。弘法大師が造ったとされる一本彫の立身不動明王を本尊として安置されています。江戸時代に入り、三代将軍の徳川家光が鷹狩りの際、休息した場所でもあります。八代将軍の吉宗公により御膳所に指定され、境内にはこの御膳所跡の碑が立っています。
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2011/05/17 12:32 |
正覚院から江古田の森公園へ
真言宗豊山派、天満山観音寺と号す正覚院は、江戸城築城に際して立ち退いた農家が豊玉氷川神社の別当として創建したものと伝えられています。豊島八十八ヶ所霊場の7番札所になります。幕末から明治にかけて、ここで「筆道稽古所」と言う寺小屋が開かれ、地域子弟の教育も行われていたそうです。
境内の観音堂前にある「八子地蔵尊」は不幸な厄病に遭った八人の幼児の霊を弔ったものとされています。
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2011/05/10 19:23 |
練馬の氷川神社は見所がいっぱい
創建年代は不詳ですが、ここ豊玉氷川神社は別当正覚院で旧中荒井村の鎮守として守られてきました。
当初は北野神社、次いで須賀神社、そして現在の氷川神社へと変遷を辿って来ました。ここにあるカヤの大木は、練馬の名木として区の保存指定にもされています。境内の石造物として、水盤がもっとも古く、社殿は須賀神社の上屋を本殿として昭和3年に建築されています。旧拝殿は、江戸時代後期の建築ですが、昭和59年に新神楽殿が造られた際に...
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2011/05/01 11:48 |
大鳥神社から矢原稲荷神社を経て南蔵院へ
ここ練馬の大鳥神社は、鶴の霊を祀っていることで起源とされ、その歴史は正保2年(1645)にまで遡るものです。
社伝によると、この年に中荒井村に三羽の鶴が飛来して、村人たちは瑞祥なりとして大喜びし、大切に保護したそうです。しかし、そのかいも無く旧森田家の邸内で死んでしまいました。そこで村人たちは鶴は霊鳥だと言うことで、小祠を造ってその霊を祀ったそうです。境内には、この写真のような薬師如来の祠もあります。
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2011/04/11 14:02 |
興善寺と大応寺、水宮神社を経て水子貝塚公園へ
興善寺というお寺は、曹洞宗で川竜山と号し下南畑にあります。入口から参道まで50メートル先に山門があり、中へ入って左側に鐘楼、右に庫裏新築されたばかりの堂々たる寺院だった。
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2011/03/30 16:38 |